本日のスペインの感染者数224390人。
812人の増加。
亡くなった方は26621名。
143人の増加。
マドリッドの感染者数64787人(亡くなった方8644名)。
カタルーニャの感染者数52086人(亡くなった方5532名)。
カスティージャ・イ・レオンの感染者数17917人。
(亡くなった方1897名)。
サラマンカの感染者数は4012人で、
347名の方が亡くなっています。
好きなチャーハンの具材は?
偶然にも、今日のランチはチャーハンでした。
鮭と卵のネギ塩チャーハン。
冷凍ご飯が増えてきたので。
後は、茄子の中華マリネと鶏がらのワカメと卵のスープ。
今日とーーーっても珍しい光景が見れました↓
YUKIちゃんとヒメちゃんが一緒にベッドに♡
小さい時はよくひっついてたんですが、最近は
ひっついてるのを見るコトがなく。
久しぶりで、嬉しくなりました。
ミレーヌさんも来たけど、素通りでパトロールへ 笑
YUKIちゃんが腕枕してる状態!!
顔寄せて寝てる姿に萌え萌えでした♡
ミレーヌさん、なかなか写真撮らせてくれないんですけど
アンモニャイトを盗撮 笑
今日は昨年7月に、スペインの友達家族と大阪観光した時に行った
THE大阪の観光名所を紹介します。
もうこの時点でどこかお分かりですよね?笑
大阪城にやって来ました。
ここは南外堀になります。そして六番櫓が見えます。
いつもは、JR側にある青屋門から入ってたんですが
実は地下鉄側にある大手門が正面入り口だと、
今回初めて知りました。
そしてこちらが大手門。
先述しましたが、こちらが大阪城の正門で
1628年に創建されたままの姿が残っていて、
黒い鉄板で覆われた重厚な門です。
(幅約5.5m、高さ7.1mの開口部)
左の木の柱下部に腐食のため修繕された跡が
このようにあるんですが、
現在の技術でも解明不能な技法だそうです。
大手門、左側に見えるのが千貫櫓です。
1620年(元和6年)に造られた大阪城内に残る
最も古い建築物の1つで国の重要文化財に指定されています。
大阪城の特徴の1つとして、石垣のいたるところに
巨石が使われています。
このように、大きな石を用いるのは権力の象徴でもあったそうです。
本丸に行く前に、桜門前にある豊国神社へ。
1599年に創建された、太閤さんこと
豊臣秀吉を祀る神社です。
麒麟が来る世の中を最初に造った人物。
(『麒麟が来る』が面白すぎて現在ドハマり中。
今現在は、藤吉郎なのに、こうなるとは!!)
パワースポットで出世運、開運にご利益があるそうです。
もちろん、ウチらもちゃんとお願いしてきました 笑
太閤さんにお参りした後、本丸を目指します。
桜門。
こちらの門は、明治維新の際、焼け落ちてしまったので
現在の門は1887年(明治20年)に陸軍が再建、
国の重要文化財に指定されています。
そして、桜門の両側には大きな竜石(右)と虎石(左)があります。
人が多いので難しかったんですが、
桜門から見える巨石と大阪城本丸。
蛸石。(左隅にあるしみ?が蛸に似てることから付けられたよう)
桜門を入って目の前にある枡形には、特に大きな石が用いられ
城内で一番大きな重さ約108t、表面積は約36畳敷の蛸石と
三番目に大きな振袖石があります。
これらの巨石は、岡山藩の池田忠雄により
瀬戸内海の島々から切り出された花崗岩が使われています。
桜門入ってすぐ左に手水舎があるので、
そこでどうやって洗うのかをレクチャーしました 笑
大阪城天守閣。
1629年に完成。度重なる落雷で焼失し、
1665年の焼失以来再建されないままでしたが、
1931年に豊臣秀吉の資料を元にようやく再建されました。
内部は博物館で8階の展望台の高さは50mだそうです。
ウチらは、中には入りませんでした。
(雅層はお借りしました。)
天守閣手前に、MIRAIZA OSAKA-JOという
ヨーロッパの古城のような建物があります。
1931年、大阪城天守閣の再建に合わせて建てられ、
警察署や博物館として使用されていましたが、
2017年に複合施設としてオープンしたそうです。
ここで、少し休憩したんですが、入り口でちょうど
七夕のイベントがあったんで、短冊に願いごとを書いてきました。
叶わなかったなー。けど来年は必ず!!
友達家族のお子さんも、少しは日本の風習を体験出来て
ヨカッタなって思いました。
(画像はお借りしました)
金蔵。
天守閣の斜め前にある金蔵は、現存する唯一の
徳川幕府の金庫で、国の重要文化財に指定されています。
入り口は三重の扉、窓には鉄格子がある頑丈な造りで、
寄棟本瓦葺き一階建ての外壁の上部は、
軒裏まで白漆喰で塗り固められていて、
下部は海鼠(なまこ)壁になっています。
どうして、こんな重要な建物の写真を撮り忘れてるんや!!!
それにしても、本丸ってやっぱり立派ですよね。
山里丸。
千利休が造営した茶室があった場所。
石がこのように沢山あったんですが、
これは刻印石と言って築城に携わった大名が持ってきた石
ということを示すためのものだそう。
(写真はお借りしました。)
天守閣から降りる階段の石垣に機銃掃射痕があります。
第二次世界大戦中の昭和20年の空襲で付いたそうです。
(陸軍の軍事工場や中枢機関が大阪城にあった為。)
(画像はお借りしました。)
更には、1615年(慶長20年)、大阪夏の陣の際、
追い詰められた秀頼と淀殿が山里丸にあった櫓にひそみ、
最期を迎えたと言われる場所がこの辺りだそうです。
(しかし、秀頼は生き延びて島原の乱に
天草四郎として加わった説もアツいですけどね!!)
山里丸辺りから見た天守閣。
極楽橋を渡って帰路に着きます。
夏仕様なのか、電飾がありましたがいらんかな 笑
東外堀。
日が少し落ちて来ました。
極楽橋は、内濠に架かる全長54mの橋。
1626年に架橋された時は木造でしたが
戊辰戦争により焼け落ちたそうです。
現在の橋は、1965年(昭和40年)に、
大阪城整備工事の一環として鉄筋コンクリートで再建されました。
青屋門。(写真はお借りしました。)
1620年(元和6年)に創建された
大阪城の鬼門に当たる裏門。
通常使用されなかったので、他の門に比べて
枡形が簡素になっているそうです。
昭和20年の空襲により大破し、現在の門は
昭和45年に残材を使って復元されたものだそうです。
以上、大阪城レポートでした。
大阪城には何度か行ったことがあるんですけど
いつも鬼門から入って行ってたし、ここまで
いろいろ調べて行ったのは初めてだったので
初訪問のように楽しむことが出来ました。
やっぱり、歴史的な場所を訪れる時は予め少し
調べて行った方が楽しめるなと思いました。
この後、夕食と最後の観光に向かいます。